クラウス・プリングスハイム(1883-1972年)は、若い頃にG. マーラーに師事した。1932年に来日して以降、亡くなるまでのほとんどの期間を日本で過ごし、指揮、作曲、評論、教育等の音楽活動を続けた。ノーベル文学賞作家トーマス・マンの妻カチャの双子の兄としても知られる。日本の音楽文化の隆盛への、ことに教育の領域における貢献の度合いが大きく、その観点で言及されることが多い。一方で彼が日本と西洋の間で、音楽家や情報の交流の窓口としての役割を果たしていたことはあまり注目されていない。このことを指摘し、今後の課題を整理した。