34 「ドイツ人音楽家クラウス・プリングスハイムはタイに何を求めたか――第2次世界大戦後の書簡から」
クラウス・プリングスハイムは、指揮者、作曲家、音楽評論家、音楽教育者として知られる。1937−39年に彼はシャム(現在のタイ)に滞在し、現地で音楽学校を設立する計画に関与した。本研究では彼とタイの関係者との間でやり取りされた書簡を分析し、そこから彼がタイの旋律にもとづく楽曲の楽譜を探し求め、さらにはラーマ9世王のバレエ作品Manorahの日本公演を実現しようとしていたことを明らかにした。
『日タイ言語文化研究』、第5号、39~58頁