【パネリスト】酒井健太郎、上田誠二、橋本久美子
戦後へと継続する音楽文化の構造が、1930~40年代前半にどのように制度化されたか、東京音楽学校に注目して検討したパネルディスカッション「1930~40年代の東京音楽学校」の一部として、東京音楽学校と「邦楽」のかかわりについて整理・報告した。東京音楽学校では開設時より「邦楽」の教習がおこなわれたが、1936年に至り改めて「邦楽科」が設置された背景には社会全体の国粋志向(つまり政治的含意)が強かったのであり、必ずしも「邦楽家」たちの芸(術)的要請がそれを推し進めたわけではないことを明らかにした。