ドイツ出身の作曲家・指揮者クラウス・プリングスハイム(1883-1972)は1931年の来日以後、死去するまでのほとんどの期間を日本で過ごし、音楽家の育成に寄与した。これに加えて彼は海外と日本の音楽家を繋ぐ窓口に役割を果たしたと推測されるが、いまだ詳細は明らかでない。そこで今後の研究の深化を期して、プリングスハイムの評伝『ベルリン・東京物語――音楽家クラウス・プリングスハイム』(音楽之友社、1994年)の著者、早崎えりな死を迎えて、プリングスハイム研究の手法や経過、資料の所在などについて伺う会を企画・開催した。